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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第2節 休日の午後 [3]




 電話番号は知っているはずだ。居なくても留守電に入れる事だってできる。母の詩織に聞かれるのが困るのだろうか? だがそれなら手紙だって同じだろう。
 いや、手紙なら、メリエムから届いたという事実は母親には知れるかもしれないが、その内容までが知られる事は無い。
 携帯の番号は知らなかっただろうか? メアドは?
 ひょっとして、待ち合わせをする時には手紙で連絡を取り合うのが、外国の流儀なのだろうか?
 インターネットが普及したこの時代、連絡はメールで取り合うのが普通だと思っていた。だが、美鶴の知らない世界では、まだまだ手紙もやり取りされているのかもしれない。なにしろメリエムは、どこにあるのかも詳しくはわからない、中東の小国の人間なのだから。
 あ、でも、メリエムさんは、本当はアフリカの国の人なんだよね。確か内戦で家族を失って。
 家族が居ない。
 この人も、やっぱりフツウではない?
 ぼんやりと考えながら、少し(いびつ)な、ひらがなばかりの並んだ手紙を長い事凝視した。
 瑠駆真には、言ったほうがいいのだろうか?
 だが翌日の土曜日、駅舎で瑠駆真に会っても、手紙の事は告げなかった。





 結局美鶴は、喫茶店へ出かけた。店の隅で、メリエムと向かい合っていた。長身の彼女は今日も美しく、腰を下ろしていてもそのスタイルの良さは目につく。後から入ってきた客がチラリと好奇の視線を向けたが、それは別に外国人だからというだけではないのだと思う。
「休みなのにごめんなさいね」
 メリエムがミルクティーを一口含んでニッコリと笑う。日本人のように曖昧ではない、率直な笑顔だ。つられて美鶴も笑いそうになり、慌てて口を引き締める。
「何の用でしょうか?」
 できるだけ素っ気無く答え、オレンジジュースを啜る。
 そんな態度にメリエムは苦笑し、テーブルの下の両足を整えた。そうして少しだけ空白を置き、ゆっくりと、その厚い唇を動かす。
「どのようにお話をすればよいのか迷うのだけれど」
 本当は日本人なのではないかと疑いたくなるような流暢な日本語でそんな前置きをし、再び時間を置く。そうして、今度は心を決めたかのように顎をあげた。
「ミツル、あなた、ラテフィルへ来る気はない?」
「は?」
 思わずオレンジジュースを噴出しそうになった。
 は? ラテフィル?
 一瞬、頭の中が真っ白になる。
 ラテフィル? って、何だっけ?
 日本ではあまり聞かない言葉だ。中東の小国で、馴染みも無い。だが美鶴は知っている。瑠駆真の父親の国だ。
 瑠駆真。
 耳に、甘く囁くような声が甦る。

「僕と一緒にラテフィルへ行こう」

「瑠駆真、ですか?」
 美鶴は知らずに口にしていた。言ってから、自分は何を言っているのだと呆れた。
 相手の言葉に、メリエムも目を丸くした。だがこちらはそれほど驚きはしなかった。
「勘が良いのね」
 ミルクティーを一口。
「まぁ、それ以外には考えられないでしょうけれど」
「あの」
 やけに落ち着いた態度を示す相手に、美鶴の方が動揺する。
「私がラテフィルにって、それ、どういう事なんでしょうか?」
「だから、理由はルクマよ」
「だから、瑠駆真が何か?」
「ルクマと一緒に、ラテフィルへ来て欲しいの」
 絶句した。今度こそ本当に目が点になった。
「瑠駆真と、一緒に?」
 メリエムは頷く。
「実は私たち、私は、いいえ、私ではなくミシュアルが、ルクマの父親が、彼を呼び寄せようとしているの」
 それを伝え、瑠駆真を説得するために、メリエムは昨年の年末から数ヶ月に渡って瑠駆真と接触した。嫌がる瑠駆真を話し合いの場に連れて来るのは簡単だった。美鶴のマンションを提供しているのはこちらだと言ってやれば、彼は断れなかった。脅すのかと刺すような視線を向けられても、メリエムには痛くも痒くもなかった。
 彼女にとって、そんなものは脅しのうちには入らない。恐ろしいかな、政治的画策の中に身を置けば、こんなものは合法の範疇だ。
「ルクマをラテフィルへ呼び寄せようとしているのよ。父親だもの。息子を傍へ呼びたいという気持ちは、あなたにもわかるでしょう?」
「え、えぇ」
 曖昧に答える。父親のいない美鶴には、父親の心情などハッキリとはわからない。もっとも父親がいたところで、年頃の娘の多くは父親の心情など、滅多に理解しようとはしないものなのだが。
 困惑しながら視線を落とす相手に、メリエムは続ける。
「でもね、ルクマの方が承諾しないの」
「瑠駆真が?」
「えぇ、父親への反発心が最大の理由でしょうけれど、もう一つ理由があってね」
「もう一つ?」
「あなたよ」
 視線で指差される。
「え? 私?」
「ルクマは、あなたと離れるのを嫌がっている」
 どう答えてよいのか、わからない。
「ルクマの気持ちは知っているわよね?」
「は、い」
 穏やかな音楽が店内を流れる。日曜日の、春の穏やかな午後。
「ルクマは、あなたとは絶対に離れないと断言している。一筋縄ではいかないわ。簡単には説得できない。でも、このままってワケにもいかない」
「このまま?」
「このまま、ズルズルと日本で放置しておくワケにもいかない。こちらにも事情があるのよ」
「事情?」
「えぇ」
 溜息をつきながら頷く。
「ミシュアルの、ラテフィルでの王位継承にも関わるの」
「王位、継承」
 なんて非現実的な言葉。王位だなんてものがこの世に存在する事すら不思議だ。それは、ファンタジー小説や過去の歴史の中だけに存在するものだと思っていた。しかも、それを継承する。







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